このゲームについて

語ることはあまりない

 

 

Deth Stranding を一通りプレイして

筆者はゲーム内記録物であるドキュメントおよびメモリーチップは恐らく存在すると思われるルーシィの記録2通のみを除いて既読済み

 

 

ゲームとしては私が予見していたように、おもしろくない。

私はこのゲームを買う時、これから私はおもしろくないゲームを買うという認識の下、このゲームを購入した為、まったくその辺りについてのダメージはなかった。

私はこのゲームのゲーム性にお金を払ったのではなく、物語の行末を傍観することのできる、権利にお金を支払ったのだ。

 

ただ、こんな体験は初めてだった。これから紛れもなく面白くないゲーム体験が待ち受けているという認識を持っているにも関わらず、当該ゲームを購入するという体験は。みんな、ゲームを買う前はわくわくしながら、そのゲームの未来に想いを馳せるものですよね?

 

ゲーム性について発言させて頂くと、まず、ゲームになっていない。

ゲームですらない。このデスストランディング は。

私たちは例えば薬局に頭痛薬を買いに行くとして、その道中に行われる、歩行という両足を交互に働かせるあの行為をゲームとして認識することは可能か?

 

答えは   否   である

 

 

だが、このデスストランディング はそれがすべてなのだ。

 

肝心のミュールやBTとの戦闘の複雑さと言えば、ジャンケンをやっているほどに、幼稚で、眠たくなる代物であった。

フロムソフトウェアが制作したブラッドボーンのように様々な武器や水銀弾を利用してキビキビ動けるアクションゲームならまだしも、そもそもこのデスストランディング は移動こそが本懐であるため、当然、アクションゲームのようなアクションすることで快楽を得られるようなゲームデザインには設計されておらず、ただ、悪戯にプレイヤーの残りの人生の時間と積載中の荷物の保全状態を時雨の如く奪いさっていく、無駄なフェーズである。

 

だが、このBTとの接触は無駄なフェーズではあるが、ただでさえ緊迫感のないこの冗長なデスストランディング というゲームに与えられた唯一の眠け覚ましでもあり、また、このゲームのなぜ、人間は都市や室内に閉じこもって人々は人々との間に断絶を抱えているのか、という物語の根幹に触れる部分でもあるため、当然ゲームの流れから外すこともできない。

 

 

そして、私がこのゲームの最大の汚点であり、このゲームについて、最大の遺憾を抱くに至った点は、多用されるカットシーンの執拗さである。

 

ファストトラベルをするには、プライベートルームに入らざるを得ず、まずそこでプライベートに入りプライベートルーム内で自由に操作できるまで、三回程のカットシーンが入りフラジャイルに頼んでからファストトラベルを完了し操作ができるようになるまで二回のカットシーン、計5回、しかもこんなことはまだ序の口だ。シャワーを利用するにも2回以上のカットシーン、荷物を載せるのにも一回、荷物を受け取るのにも一回、リサイクルしようものなら、荷物を載せるのに一回、オバさんからの感謝に一回、計2回をその度見せつけられる。

 

また、カットシーンを飛ばさないというクリエイターの暴挙とすら感じさせられる部分もある。

私がBTとの接触が嫌いなのもそれが一因である。

BTが近接する度にオドラデグがキロキロ音を立てプレイヤをアップし操作不能状態を5秒ほど継続させる。また、近接が終了しても同様の演出がさしこまれる。

 

そしてこれらの演出が、偶に、ならまだしも、頻繁にさしこまれ、プレイヤの脳髄を不愉快に刺激してくるのだ。

 

BTとの接触エリアは固定で発生し、その遭遇そのものにも驚きはない。接触エリアが完全ランダムであればまだしも。しかもその設定エリアは明らかに利便性の高い、つまり、バイクやトラックなどで高速で移動しやすい場所に設置されており、折角プレイヤが気持ちよくバイクで走っているのに、先ほどのスキップ不可の強制演出が入り、ゲームのテンポを著しく阻害しているのだから擁護しようがない粗末なしろものだ。

 

 

また、本作は肝心の物語すらお話にならないレベルだ。

もとい、このゲームに、物語 などない。

 

本作はPVにあった、意味深な発言に繋がるための前段階など、存在せず、従って、彼らの発言は、意味深、ではなく、思わせぶりなだけなのだ。

 

例えば、アメリの、私の名前はアメリゴ ヴェスブッチ からとったもの。コロンブスが最初にアメリカ大陸を見つけたのではなく。だからそもそもアメリカは嘘から始まったのよ。

 

や、分離主義者のリーダーの、仮面を被っているのは俺だけじゃない。お前のボスもあの女も。そして、ああ、お前もな。

 

これらは、結局は、彼らには薄暗い過去があり、アメリ自身の存在への偽りがある。といったことを意味しているが、それはプレイヤにとっては、正に、点、でしかなく、線としての体験ではないのだ。

 

残念ながら、このゲームは、でしかない。

 

だが、物語とは、のはずだ。

ゲームを問わず、物語を体験するとは、に沿うことであり、ただ、点を与えられることではないはずだ。

 

このゲームはスカスカを地で行っている。

本来、ゲーム上の物語とは、クエスト中のイレギュラーやNPCとのやり取りで発展していくものなのだが、このゲームはただ荷物を運んで、それで終わりだ。

 

例えばですよ、小さな女の子がサムにおばあちゃんのために打撲や打身に効く軟膏の為の野草を摘んできて、との依頼があったとして、それが5回程依頼としてきて、最後に、軟膏とは全く関係のないヒツジグサの花を、(時雨農場の裏の高い頂にのみ自生、という設定にして)摘んできてほしい、との依頼がとんできたとします。

 

それは躰を痛め寝たきりになっていた小さなウサギ(ブリッジズにはそのような法令はないと思うが、ヴォイドアウトしないと考えられている小動物でさえその可能性を忌避し、プレッパーズは生き物を飼育してはいけない、という利用規約を設けていた為、女の子はおばあちゃんの為という嘘をつき、本当は脳味噌が麻痺しているウサギなのに軟膏の薬をサムに頼んでいたのだ。なぜなら、病院で正しい診察を受けようものなら、ウサギを飼育していたことがバレ、即刻 ウサギは解体され殺されてしまうと女の子は考えていたから) へのせめてもの、たむけ としてのお花だったのです。

 

サムは悲しそうにしている、子供にそっと

摘んできたお花を手渡します

 

そして、子供は

 

ねえ、みいちゃん(ウサギの名前)もお化け(ネクローシス)になるのかな。

もし、なるんだったら私この子をずっとてばなさない。

帰ってくるまでずっとそばにいる!

 

とサムに泣きながら伝えます

 

サムはそれをみて その子供を(接触恐怖症でありながら、また、接触恐怖症であるがゆえに手先が震えながら) 親のないプレッパーズのウサギだけが唯一の友達でもあり肉親でもあった子供を抱きしめてあげるのです。

 

 

 

これ、ですよ。

 

わかります?

 

こういうのが、物語なんですよ。

 

接触恐怖症のサムという設定を本作は上手く機能させていないし、なぜ、サムが接触恐怖症になってしまったのか、そして、サムの接触恐怖症はなぜ過去に一度、治癒していたのか。そしてなぜ、再発したのか。

 

これらは、ドキュメントを読めば分かります。

ただ、それはどうなのでしょう。

このドキュメント、かなりやり込まなければ手に入りません。

プレイヤが最も時間と思いをかける対象であるはずの、サムポーターブリッジズの思想性や人格などのバックグラウンドがテキストに丸投げされ、しかもそのドキュメントは万人がアクセスできるほど入手が容易ではない。

 

しかも、読んだところで、物語に対する理解度が深まるかというと、深まらない。

なぜなら、まず、ビーチとかカーとかハーかネクローシスや帰還者などイレギュラーしかないからだ。イレギュラーしかないところに、なぜ、サムが接触恐怖症になってしまったのか、という部分が重複しているため、読んだ人はまったく共感できないでしょうね。

 

 

このようにして、このゲームにはまるで褒められたところがない。

 

なにが、繋ぐ、だ、なにが繋がり

 

作中、連呼される、繋がり、北米大陸を繋いでくれ、絆 ストランド

 

私にはこれらの言葉が空虚に聴こえる

薄寒さすらおぼえる

なぜ、カイラル通信を繋ぐ程度で、人と人が繋がったことになるのか?

 

なぜそれで絆なんてものが発生するのか?

 

ネットで繋がっているこの世界は、愛でしかなかったか?

 

むしろ、逆なのでは?

 

誹謗中傷、ネットいじめ、匿名性を生かした悪質な書き込み

 

前述したようにプレッパーズのそれぞれとの間にサムが濃ゆい関係性を構築していったのであれば、それは人と人ではないにしろ、人とサムは繋がったことにはなったかもしれない。

 

だが、そのような関係性がまったく構築されることなく、(私は本作のプレッパーズすべてに対して親密度を星5、つまり最高ランクまで上げメールもすべて既読済みだ) 繋がり、だの、絆だの、口に出すと空転しかしない青い言葉がポンポンでてくるのには違和感しか覚えなかった。

 

 

小島さんにとっての繋がりってなんなんでしょうね。

 

ただ機械的に荷物を顧客に渡すこと?

音楽界、映画界の著名人たちと談話したり会食することで発生した関係性?

またその写真や動画をSNSにあげ関係性をおおやけに固着させること?

 

それらを経るだけで、人と人が繋がったことになるのか?

 

私は、人間とは孤独な生き物だと思うし

 

この世には馴れ合いしかないと思っている

 

どれだけ仲良さそうにしている夫婦だって

 

恋人だって

 

それは馴れ合いだ

 

それは妥協だ

 

結果、一人では作れないものがある

一人では癒せない寂しさがある

一人で歩くと寂しい夕日がある

 

ただそれだけだよ

 

人が誰かにすがる理由なんて

 

 

さて、長くなりましたが、

 

私はくだらないものにはここまで、長々と発言しません。

つまり、このデスストランディング には良い部分があった、ということです。

 

それはやはり設定です。

世界観、世界観とよく小島さんのゲームは言われますが、世界観、なんてものは、ないと思っています。少なからずこのデスストランディング というゲームについては。

 

あるのは設定です。

 

これは、クリエイターなら、涎を垂らすほどにかなり魅力的な設定です。

 

発想自体は特に独創的ということではありませんが、やはりここまで大々的に幽霊に対消滅を交えたり時間剥奪雨(もののけ姫で近いことを既にやっているが)やDOOMSと呼ばれる特殊能力保持者、しかもこのDOOMS、カイラル関連に耐性を持つばかりか、フラジャイルの発言によると、LV2や7と言ったように、段階があるらしく、段階によってもその能力の効果や性質が変わるのではないかと、プレイヤの想像を刺激する要素がふんだんに盛り込まれたゲームは希少だと思います。

 

 

総評としては、伊藤計畫なら、この設定で、どんな物語を描いただろう、と思える作品ではありましたし、二次創作、という視点でこの作品をみると、まさに宝庫と呼べる作品でもあったと思います。

 

ただ、条件があるとすると、サム、ポーターブリッジズや、アメリなどからは完全に離れた作品であるべきです。

 

この運ぶ、という概念からは離れるべきです。

 

それさえ飲み込めれば、それぞれのクリエイターの特質を生かした面白い作品が多々生まれるのではないでしょうか。

 

ただ、恐らく二次創作は流行らない。

 

結局はポケモンなどのようにキャッチーなものが、受けるのであって、今時、二次創作に人生を捧げ、このデスストランディング の世界設定を生かして物を作る人は、それこそ伊藤計畫ばかりの小島原理主義を必要とするだろう