さらざんまい

一話だけ観た感想を言うと

 

まず、違和感

 

つながる、がテイマとされているようだが、裏を返せば、主人公の彼は、今現在、つながっていない、と言えそうだ。そのつながるとは肉体なのか精神なのか。それとも世界そのものなのか。

 

違和感と言ったが、鑑賞者の多くの人間が、その違和感を感じただろう。

そう、サラちゃんが自撮りを撮ってコッキングしている彼に追いかけられ逃げるシーン、走っている時のモーションとその声、が村瀬歩もとい村瀬あゆみ演ずる主人公がサラの女装をしていた時のモーションと声に合致しないのだ。

これから考えられることは、世界が二つある。

あるいはそれ以上の数の似ているがどこかズレた複数の小宇宙的存在が扱われている可能性だ。

 

作中にしばしばでてきた、Wi−Fiマーク、サーバーと呼ばれる母体にアクセスすることで小分けにされていた幾多もの細い道筋がひとつにつながる

 

本作は恐らく、つながっているようで、つながっていない、友情とか、愛情とか、そういった不安定で脆いものに光りをあて、再定義することが趣旨なのではないかと思う

 

だが、そういったテイマは、輪るピングドラムでもやった気がするし、ユリ熊嵐でも、、、、(うん、まあ、あれは例外だな。ユリ熊嵐に愛とか友情とかそんなものはないでしょ。あれは飽くまでもアニメ、という感じ。現実のメタフォアでもなんでもない、おもしろい?アニメだ)最近観終わった少女革命ウテナ、(余りの退屈さに呼吸器系がフルマラソンを走らされているときの息苦しさに遭遇しながらも、39話という圧倒的なまでの冗長さをなんとか乗り切った)もなんやかんや言って、愛に関連したものだったし、(私のなかでウテナは圧倒的に駄作であり、観なくともその後の人生になんらの差し支えも生じせしめない取るに足らぬものだ。だが、輪るピングドラムは悪くない。陽毬ちゃんがクリスタルオブザプリンセスだったか?に変身した時の太腿の美しさ、股間部の色調の良さ、睫毛の長さなど、評価に値する作画、毒舌があり、大変満足のゆく代物だったが、少女革命ウテナだけは駄目だ。古いアニメ、の一言で済ますことのできる凡庸極まりないアニメだ。もし、「わたし、少女革命ウテナだーいすき」なんていう女の子が居たとしたらそれだけで絶交のふみを叩きつけてくれるわ!という感じだ。

 

 

まあ、畢竟するに、(私には姉が居りその影響というか半ば行きずりの関係というか、そんな流れで、セーラームーンすら幼少の頃に画面に食らいつくように観ていた、そんな少年だったので、なんだかんだ言って、幾原監督の作品はすべて観たことになるが、セーラームーンも今思えば、いやその当時も評価はできない。まず、JKがJKっぽくないんですよ。なんなんでしょうね。女の子らしくないとかそんなことを言いたいんじゃなくて、とにかく愛されない。マコトさんにゾッコンな訳ですが、それが古典的男と女というか、処女の夢というか観てる方からするとシラケるんですよね。かといってドロドロしたリアリズムが欲しいって訳じゃなく、理想をあげるなら、荻野目苹果なんですよね。理想のJKって。最初はね、なんなんやろ、この変態女、ウチの晶馬に臭い自分の服取っ替えさせ着せたうえに臭いなどと罵倒したり、人の家の床下に引っ越し道具を何回も運ばせておきながら感謝の一言もない、まさに絵に描いたようなクソ女、という印象だったわけだが、事故が起きて晶馬と性行為しているのかと思えるほどの距離に接した時の慌てようとか、後半の語尾に「だぞ」付ける発言とか、その語尾に「だぞ」付ける発言そのものに、照れる様子とか、メチャクチャかわいいんですよね。セーラームーンは面白くもなんともない人間容量5ぐらいのスカスカな人物設計のJKが面白くもなんともないアクションを繰り広げ、メスクサイ声をあげながら時に恋がどうだのと感傷的に泣き叫ぶだけが主軸のスカスカで三文のアニメですわ) いや、輪るピングドラム以降の幾原監督の作品は(ただしセーラームーンRは除く)おもしろいんですよ。ぼくはね、高く評価しているんです。彼の作品を。人物の台詞もすばらしい。ふつう、日常はあんなに面白くはならないと思うんですよ。でもね、飽きないんですよ。彼の描く日常は。でも、いつも愛に関したものばかりだから、時には愛意外の、強いていうなら、ダーリンインザフランキスのようなガチガチにアクションで孤独な作品が観たいなと。

 

当、アニメ、さらざんまいがどういった方向性で行くのかは未知数ですが、今後が楽しみです。

でも、監督が〇〇〇ファックに興味があったとは。いやはや。なんとも。

いまは、男性?らしき存在に対してしか〇〇〇ファックしていませんが、今後女の子に対して彼らは、あるいあの第一王子は〇〇〇ファックをするのでしょうか?

 

必見です!