岡本倫が、新人時代の頃に上梓した「FLIP FLAP」この著作について、岡本倫本人は「新人時代の頃なので、絵は大目に見てください」との旨を語っていたが、本人はあの頃の絵をあまり評価していないようだ。 しかし私からすると、あの時に書かれた絵は今の岡本倫の描いている絵よりも見所があるのだ。「FLIP FLAP」そのものの内容は人間を内臓だけにしたような、剥き出しの部分が描かれている。当然、そういった内容にふさわしい作画とは、遠近間、輪郭線、顔のパーツ、これらを通常の規格から著しく逸脱させる作画でなければならない。

 

たとえば、それがどんなものなのかと言えば、ハンス・ベルメール球体関節人形、漫画でいえば、 「GANTZ」大阪篇に出てきた乳房の集合体、これらは通常の人間、人形、の規格から著しく逸脱している。しかしそういう形式を意図をもって、かつその意図をややとう晦気味に用いることによって、観測者に言語以前の感想をもたらすことができる。よく「言葉で巧く表現できない」と表現されることがありますが、感情は言語よりも微細なのです。言語は感情よりも単位が大きい。その部分に訴えかける力がこの表現技法にはあると思います。

 

ただ、岡本倫はその表現技法を意図的に選択した訳ではないと思います。彼は当時、型がなかったからじゃないかなと。漫画は、笑った顔、怒った顔、泣いている顔、これらの型ができてしまえば、作家は後はそれを好きな時に取り出せばよいという、ともすればその独特のシーンに非対応的な循環環境が構築されかねない状況になりがちです。しかし、当時の岡本倫には自己の中にその目指すべき型がなかった。いわば、常に彼の中で、「この人物の泣いている顔とはどんな顔か?」という問いかけが繰りひろげられていたのだと言えます。だから、あの頃に書かれた彼の絵はどれも新鮮なのです。しかしそれも、極黒の初期あたりで終わってしまった・・・今の彼の絵は形式的だ。極黒の初期を読んだことがある人はわかると思いますが、黒猫の顔がなんともいえない死への郷愁のようなものを表現していて、みているこちらが沈鬱で儚い気持ちになるのですよ。そういう絵が描ける人は稀少だったのに。