君は淫らな僕の女王  久方ぶりに読み返しているけど、あそこで描かれていることが、[永遠の愛]であるなら、私はおかしくて笑ってしまう。

 

永遠の愛、そんなものはない。

 

しかし、おもしろいものですね。愛し合う二人は、2ヶ月後、いいえ、2日後、いいえ、明日は必ずこのままずっと抱きあったままだろう、と信じるものです、しかし私が気になるのは、じゃあ、3ヶ月後は? 三年後は? 十年後は? 五十年後は? という疑問を投げかけたとき、彼らが言葉を濁すことが明白だからです。彼らはわかっていないのです。自分たちの愛が、明日も、2日後も、2ヶ月後も、いや永遠ですらある期限のないものであると宣誓に近い形で信じているのに、いざ、具体的な数値を提示してみると、たちまちその ”永遠の愛”に対する自信が瓦解することに。

 

だから、彼らのなかで、愛し合う時間的数値を提示することは、禁忌とされている。彼らも薄々気づいているのだ。だが、「現在しか見ない」その姿勢が、恋などにうつつをぬかす原因となっているため、永遠の愛などないとしりながら、自分たちの愛は永遠だ、と激しく確固たる自信をもって、主張するなどという頭と身体が分裂したかのようなちぐはぐなことを 平気でやってのける。

 

でも、君は淫らな僕の女王 は作品ですからね。

つまり、存在しないものを描いてよいのです。

 

そこで思ったのが、岡本倫は 植物標本を作ったつもりなのか、それとも造花を作ったつもりなのか、ということです。

 

前述した通り、植物標本は私の中では論外ですが、それが そういう愛が巷には溢れかえっているわけで、植物標本を作ることで皮肉にはなりますよね。

 

ですが、作品からはそのような意地悪さは伝わってきませんでした。

だとしたら、造花? なんのために

 

結構、夢だと言いたいのですね。

一人の男が布団にくるまれて見た、黒髪ロング令嬢 美貌 程よいバスト 知性 痴女 自分にぞっこん 幼馴染み 高校生 、以上の要素がつまったおよそ男という男が一度は夢見たであろう理想の女の子とイチャイチャする夢

 

だと言いたいのですね。

 

夢を見ない私からすると、白けますけどね。

存在しないものを追い求めてもそれが決して手に入らないことに絶望しているからだと思います。仮に存在したとしても、私という人間は 人を愛することはできない

 

そう知っているから

 

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