人生が、飽和した。 こういった、感慨に陥らない人間とはいったいどういう人間なのだろう。自分の人生に確たる礎を築き、そこに向かって日夜邁進する。つまり、ある事柄において自分は傑出した才覚を持ち合わせており、それについては他の追随を許さない。という自惚れが必要なのか。どうしてそれが客観性を欠いた自身の核とするにはあまりにも脆弱な地盤で築かれていることを、省みないのだろう。ふと、わたしはこれこれについては他より優れた能力を持ち合わせているが、もっと広い目でみれば、たいしたものではないかもしれない。そう、自らを省みる夜が一夜でもあれば、彼らは自らの足をそれ以上前へ進めることをとめるだろう。

 

私は人間というのは、滅ぶべきだと思うし、心底嫌悪している。

彼らは、なぜ生きているのか、秋、夏に栄えた植物が枯れて私達の視界に映ってもその存在がかつてなんであったかなどは、思いもよらない、そういう存在であればいいのに。

 

冷静に考えてみてくれ、高慢ちきで、救いようがないほど、内省性に欠けた、それ以上賢くなることもなければ、自身の薄汚さに気付くこともなく、のうのうと生きて老人になっていく彼らの存在を 彼らが成長させるとすれば、どうすれば他人を出し抜けるか。どうすれば自分が相手より優れた存在であることを出来るだけ相手がそれ受け取ったとき屈辱的と感じさせるやり方で証明できるか。その技術だけだ。

 

なんで、あんな人間が、生きているのか。なぜ、死んでいてはいけないか。

 

この、生きているのか、は、よくその人格性で社会に溶け込めるな、という生計を立てることの困難さからくる生命への疑問ではない

 

いうなれば、

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こんな感じ