タイトルをつける人間の安直性について


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これらは、私が描いた絵だが、絵そのものを描きはじめたのは、今年の三月になってからだ。それから毎日というわけではないが、筆をとるようにと、自己に命令を促し続けた。そもそも私は、絵を描きたいと思ったから描く、というような、絵以外においてもいえる、その類いの行動様式を自己の中に持たない。だから、私が絵を描くためには、自己に絵を描くように、命令を下すようにしなくてならなかった。

では、なぜそのようなことをしてまで絵を描こうと思ったのか。私は好きな絵を見るのが、好きだった。絵そのものに関心がなかったわけではない。だが、一向に私という人間は、絵を描きたいとは思わなかった。たくさんの漫画や絵画を見ても、私に一向にそのような衝動が起きないことを確認したとき、私は確信した。私は死ぬまで絵を描きたいと思うことはないだろう、と。

それならそれで、なにか問題が生じるわけでもなかったが、ひとつ疑問に思うことがあった。人は、なぜ絵を描こうとするのか? という疑問が、それを解決するためには、自分がまず、絵を描いてみるべきだと考えた。そうすれば、いつかは絵を描こうと思える人の気持ちがわかるかもしれないと。

まだ、途中過程であり、一生途中過程で終わるかもしれないが、雑感としては、ある種の変態性の発露であるようには感じた。私は女性の絵を描くことが多いが、これがもし花だとしても、本質は変わらないように、感じる。あなたも、描いてみればいいですよ。目の前の物質を熱心に写生してみれば、あれ、いまやっているワタクシの行為って、変態的かしら、と思わざるをえない狂気の片鱗がそこにはあると思います。まず、あなたは、なぜ、わたしは、いま、この目の前のアザミの茎からのびた、複数の枝葉の分岐の一つ一つを写生を間違えるたびに、目を凝らして見なければならないのか? わたしはこの植物にさして興味はないのだがな? と思うはずです。しかし世の中には複雑に絡み合った植物の一つ一つを丁寧に写生している人間の絵が後を絶ちません。


ま、ご託はここまでにして、これらは、私の欲する答えではありません。たしかに、絵を描くという行為は変態的ではありますが、描く人間が変態的だから絵を描く、という解では私は満足しません。もちろん、複数の人間の絵の動機を統括して見ることは正しさを犠牲にすることではありますが、私は人間とは同じ穴の狢のような気がしないでもないのです。


この問いの答えを知るためには、本人に直接きいてみるのが良いのかもしれません。正直、私が絵を描いても動機は生まれないように感じます。ただ、本人にきいてもくだらない答えしか返ってこないような気もします。たとえば、理由なんてない。それがないと生きていけないから。絵を描かないと俺はしんでしまう。 とか、小さいころから絵をかくのが好きで、お母さんや、まわりのみんなにかいた絵を見せて褒められたのも嬉しかったけど、その絵をみて笑顔になってくれたのが、わたしがいまでも絵をかいている原動力みたいなものかな、とか、わたしは別に絵を描くことに動機を必要とはしない。わたしは人よりも対象と対象との位置関係を把握する能力が秀で、それらを加工する美的センスにも優れていたから、ただそれを日々のパンを得るための職業に利用しているだけのことだ。とか。

こういうのは、うんざりだ。 わたしが求めているのは、絶世の美少女を描きあげた瞬間、その紙の上に盛大に精液をぶちまけた後、うしろにひっくり返るような男の画家の動機で、しかもその絶世の美少女はクラスの同級生なんだ。その美少女に猿ぐつわをはめ、服をむぎ、紐でしばりつけた後、気のすむまで美少女は犯される。そして気づいたときには、美少女は、醜いおんなにかわっていた。いったい、なにがおこったのか。俺の目がおかしくなったのか。画家は自分を疑ったが、画家の目がおかしくなったのではない。しかも、画家以外の人間の目からしたら美少女はかわらず美少女のままであった。この不可思議な現象を解決するべく、画家は自らの精液をシャワールームに酷似した長方体の六面体にとりためて、やがて、そこに美少女の顔から足まで、つまり全身が浸かるまで、精液漬けにした。もちろん死んでもらっては困るので、死なないように息継ぎをさせながら、




という現象が起こったと仮定したとき、


なぜ、男はそのような行為をすることで、かつての美しい少女を取り戻そうとしたのか。もしかすると、彼にとって(自らが描きあげた)絶世の美少女を描きあげた瞬間、世界は夕暮れの方角へと傾いたのかもしれない。つまり、射精とは、現実の美少女の非実在性に対する強固の[美少女は存在する]という信奉心の現れであり、それは現実の少女のあまりの少女らしくなさを、浄化する白いスペルマの遮蔽液であった。

そうすることで、画家は空想に実在性をもたせ、絵から抜け出、すでにおかされて、消費された、おんなを魂の段階まで再構成されることを望んだ。そうしなければ、画家は現実を維持できなかった。射精とは、男にとって、終わりであり、新たなる生ではない。



ここまで、です。ここまで私に想像させてくれる画家でなければ、なぜ、人が絵を描くのか、私にはわかりませんね。



もっとも、伶俐なひたいをした、いかにもキレる女という感じの人間が、絵筆を耳にかけ、もう一つを手にとり、キャンバスの前に座っている。しかし彼女の左手は自身のあそこにむけられ、なにやら液体が液体と擦れあうような音を立てる運動をくりかえしている。 みたいな、そんな人間の絵を描く動機も知りたいですね。

私はそういうものこそ、本当に動機だと認めるよ。