】小説【

生きる意味とは、なんだろうか?

 

生きる意味について考える

 

気づいたらいつも、なんで僕はいきてんだろ

 

 

生きる意味とは、生きる目標として我々に認識されがちだが、私にとってそれは目標とは考えられないことだ。

 

生きる意味とは、赦免状のことだ

 

生きていてもいいよ、と神から受け渡される赦免状

 

 

私はもう、バラバラ、なのだろう

 

解体された、なにかの肉片、かつて生物だったとみなされる、最低限度の要素を残したまま、いまはただ腐敗の中に身を委ねたまま動かない一連の肉片、それがわたしなのだろう

 

 

わたしは、解体されてしまった

 

その解体は私がしたのか、それとも他者によってもたらされたのかも、もはや判然としない。

だが、わたしは答えをしっている

 

 

結局、わたしも、あの老人たちが言っていた忌々しい事柄の正当性とその事実性を認めすっかり染まってしまったのだろうか?

 

人間は皆変わらない

 

というあの忌々しい呪いの言葉に

 

 

私はもう疲れた

 

笑顔で醜い自分を隠蔽することに疲れた

 

また、その笑顔を差し向ける相手は善人なのかもしれないが、その善人にすら、私と同じようにおよそ人に見せること能わぬ醜怪な姿があるのかもしれないという疑心を抱くことに、また、その疑念を払拭し相手にそれを悟られまいと自らの顔面にあの道化の笑みをはびこらせることに。その疑心が1しか描かれていない賽子で半と声高に賭博する男の心のように、確実なことに。

 

私はもう疲れた

 

私は解体されるしかなかったのか

 

私は解体される他に成す術がなかったのか

 

私は人から善行を受けると薔薇のトゲのようにそれが心に食い込む

 

私はそれを受け取れるような立派な人間ではない

 

貴方が今笑顔で接している人間は犯罪者だ

 

私は人から石を投げられることはあっても、善意を投げかけられることがあってはならない人間だ

 

私なぞは、その辺の道端に転がって、石ころ同然の扱いを受けることが適切なのだろう

 

 

私はそれでも、生きる意味を考えてしまう

 

その問いの答えは常に、生きる意味など無い、であり、その声音は私のものだ

 

私は赦されたいのだろうか?

 

私は赦されて、本当の笑顔を振りまきたいのだろうか?

 

だとしたら、その日は一生来そうにはない

 

私が犯した罪は消えないからだ

 

私は死ぬまで虚偽の笑いを浮かべ

 

死ぬまで人間に疑念を抱き続けるのだろう

 

なのに、なぜ、私はそれでも、生きる意味を問うてしまうのか

 

問い続けている間は、まだバスに乗らなくてよいから

 

私は死ぬまで停留所に止まったままなのだろうか

 

また、そのバスとやらは何処に向かうのか?

 

そのバスの行き先が死でしかないなら、死ぬまで停留所にいることと何がちがうのか

 

景色が違う

 

だがそれは景色を楽しむ、という発想に基づくものだろう

 

私にそのような精神を抱くことが認可されていたなら、そもそも赦しなぞ端から求めてはいないのだ

 

私は苦しめばよいのだろうか

 

それが唯一の贖罪なのだろうか

 

私が書いてきた文章は醜い

 

誰かの作品やその誰かそのものを非難するような発言がその大半を占めている

 

まるで、それは自らが無能ではなく、批判されている対象よりも、遥かに優れた能力を保持している人間であると主張するかのような口ぶりで、大変高圧的で、読むに堪えず、執筆者の精神の醜さを如実に反映しているようだ

 

その根底にあるのは、嫉妬で、自己表現を達成している存在と、その対比である自己、自己表現に至ることのできない自分の人生への絶望、それらによって生じる不安を、他者を匿名の場で攻撃するという形で解消しようとしている

 

また、文章中誰かを擁護するような発言も多々見受けられるが、それは結局、コメント拒絶という形にも表出しているように、誰かからの批判に対して恐怖している心理が作用しているためであり、「自分という人間は批判するしか能のない人間ではなく、他者の良い部分も適切に評価することのできる調和のとれた人間」であることを誇示し周囲からの評価を上げ、ひいては他者による自分への批判を軽減させようとする打算によるものであって、たとえそれが真実長所であると考えたうえでの発言であっても、およそ褒めれたものではない。

 

また、批判と云えば、どこか正当性を帯びたアカデミックな行為にも思えるが、批判している対象が目の前に居ても、それと同じことが言えるわけでは私はないのだから、それは、陰口だ。

やはり、本人がその場にいても、それと同じことが言える人間のみ、ネットで他者を批判する資格があるのではないか

殴られるリスクを背負わず、一方的に外野から対象を殴る。

 

醜い行為だ

 

 

苦しむことが贖罪になるのなら、消さずに置いておくべきなのだろうが、見た人間が不愉快を催すだろうから、消す、などという、おべっかは使わない。

結局、私は、ズルく、最初から、赦しがほしいのだ。

 

私が今後できることは、書かない、ことだ

 

少なくとも、誰かや、誰かの作品を、攻撃するような形で、人の目に触れる場所に文章を残さないこと

 

 

 

ただ、思うことは自由 だ